天龍寺(京都市右京区)

 天龍寺は、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺。造営に際し、足利尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したと言われている。方丈裏の庭園は、嵐山、亀山を背景とした池泉回遊式庭園で見どころの一つになっている。
天龍寺雲龍図3.jpg
以下、説明文は天龍寺のホームページから抜粋。

・法堂
 1864年の兵火にて焼失、その後明治になり江戸後期建立の雲居庵禅堂を移築し、禅宗七堂伽藍のひとつとした。法堂とは説法堂の意であり、住持が仏に代って衆に説法する場所。天井は鏡天井で鈴木松年により明治32年に描かれた雲に乗る龍の絵であったが、平成9年に法堂移築100年・夢窓国師650年遠諱記念事業として、加山又造画伯により新しく雲龍図が制作された。正面須弥壇には釈迦三尊像を安置し、後の壇には光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌、開山夢窓疎石、開基足利尊氏の木像が祀られ、仏殿としても使用されている。
天龍寺法堂2.JPG
・庫裏
 明治32年に建立された。庫裏は七堂伽藍の一つで、台所兼寺務所の機能を持っている。方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せ、白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で天龍寺景観の象徴ともなっている。また、玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間などに同じ達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔となっている。
天龍寺庫裏.JPG
・方丈
 大方丈と小方丈(書院)からなり、大方丈は明治32年、小方丈は大正13年に建築された。東西を仕切る襖の雲龍の絵は昭和32年に物外道人によって描かれたもの。物外道人は若狭物外といい、明治20年秋田県に生まれで、東京芸術学校を卒業後に山元春拳に弟子入りするも自ら絶縁し、富岡鉄斎門下の山田介堂に学んだ富岡鉄斎唯一の孫弟子とのこと。天龍寺第8代管長である関牧翁老師の友人で、昭和32年にこの方丈襖絵を描き上げ、4ヵ月後に70歳で没し「画龍院如意物外居士」の法名が付けられた。小方丈は書院で2列に多くの部屋が並び、来客や接待や様々な行事、法要などに使用される。
天龍寺大方丈3.JPG
・龍門亭
 平成12年開山夢窓国師650年遠諱記念事業として夢窓国師が選んだ「天龍寺十境」の一つ龍門亭を再現したもので、ここでは篩月の精進料理が出されている。
天龍寺龍門亭.JPG
・曹源池庭園
 中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園で、大堰川を隔てた嵐山や庭園西に位置する亀山を取り込んだ借景式庭園でもある。方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立て龍門の滝とする。龍門の滝とは中国の登龍門の故事になぞらえたもので、鯉魚石を配するが、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、龍と化す途中の姿を現す珍しい姿をしている。
天龍寺曽源池.JPG
・多宝殿
後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、前に拝堂をもち、後ろの祠堂とを相の間でつないでいる。昭和9年に建築されたもので、拝堂には正面に1間の階段付き向拝を持ち、あがると広縁になる。この場所は亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした地で、現在の建物は昭和9年当時の管長であった関精拙老師が完成させたもの。後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式と伝えられる。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られている。
天龍寺多宝殿.JPG

拝観時間   庭園8:30~17:00(受付終了16:50)
       諸堂(大方丈・書院・多宝殿)8:30~16:45(受付終了16:30)
拝観料    庭園(曹源池・百花苑)高校生以上500円、小中学生300円、未就学児無料
       諸堂(大方丈・書院・多宝殿)庭園参拝料に300円追加
       法堂「雲龍図」特別公開 一人500円
交通アクセス 京福電鉄嵐山線「嵐山」駅下車前

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