テーマ:観光情報

天龍寺(京都市右京区)

 天龍寺は、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺。造営に際し、足利尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したと言われている。方丈裏の庭園は、嵐山、亀山を背景とした池泉回遊式庭園で見どころの一つになっている。 以下、説明文は天龍寺のホームページから抜粋。 ・法堂  1864年の兵火にて焼失、…
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野宮神社(京都市右京区)

 野宮神社は、野宮大神(天照皇大神)をご祭神として祀る神社で、創建は不明。野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされている。野宮は、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が伊勢へ行かれる前に身を清められたところで、後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶するまで続いた。その…
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渡月橋(京都市右京区)

 渡月橋は、桜や紅葉の名所として知られる嵐山を流れる大堰川(桂川)に架かる橋。834~848年に、僧である道昌が架橋したのが最初である。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられたそうだ。なお、現在の橋は、昭和9年に完成したもの。 営業時間   いつでも 観…
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田縣神社(小牧市)

 田縣神社の創建は不明だが、807年に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』に記載されていることから、かなり古くから存在する神社。ご祭神は、御歳神(農業をつかさどる神)と玉姫命(子孫繁栄の神)で、「子孫繁栄」「五穀豊穣」のご利益があり、商売繁盛や、良縁、子宝・安産祈願などに多くの人が訪れる。また、境内には男性のシンボルの形をした石や岩…
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浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(浜松市北区)

 「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」は、姫街道を通行する旅人たちの使った道具や鑑札などのほか、町内から発見された銅鐸など考古資料類、浜名湖の漁業や遠州畳表などの産業に関するものまで幅広く展示されている。出土した銅鐸7点や、畳表として生産された藺草にかかわる資料、屋外には移築した「産屋」がある。  1階展示 「浜名湖の囲目網漁」と「…
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本陣前公園(浜松市北区)

 本陣前公園は、気賀宿の本陣があった場所の斜め前に、平成9年に建設された公園。そもそも気賀の町は、徳川家康の家臣である本多作左衛門重次により1587年に創られた宿場町で、古くからあった街道も整備され姫街道と呼ばれるようになり、東海道の脇街道として賑わうようになったそうだ。その後、1601年に徳川家康によって気賀関所が創設され、江戸の取り…
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二俣城址(浜松市天竜区)

 二俣城は、戦国時代の初頭に今川氏が築いた城館がはじまり。天竜川と二俣川の天然の堀に挟まれた、遠江攻略の要地に建つ堅牢な山城で、今川氏が衰えたあと、徳川家康と武田信玄が激しく攻防していたしょが、長篠の戦い後に徳川家康の所領となっている。また、悲劇の舞台となった場所でもあり、1579年に織田信長のもとへ家康の嫡男信康と正妻の築山殿が武田に…
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月夜見宮(伊勢市)

 月夜見宮は外宮の別宮で、「天照大御神」の弟神である月夜見尊が祀られている。内宮の別宮である月讀宮と同じ祭神で、月夜見尊と月夜見尊荒御魂を一つの社殿に合わせて祀られている。月夜見宮は、伊勢市の中心に鎮座しますが、古くは高河原と呼ばれ川の流れと農耕に深いつながりのあるお社で、鎌倉時代のはじめの1210年(土御門天皇の時代)に別宮に昇格した…
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月讀宮(伊勢市)

 月讀宮は内宮の別宮で、天照大御神の弟神である月讀尊(月の満ち欠けを教え暦を司る神)、月讀尊の魂を祭神とする月読尊荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊がご祭神として祀られている。創建は不明だが、804年の桓武天皇の時代には、祀られていたそうだ。なお、月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の4社を合わせて月讀宮と呼ぶ。 拝観時間   1…
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猿田彦神社(伊勢市)

 猿田彦神社は、猿田彦大神の子孫である宇治土公宮司家が邸内社として猿田彦大神と大田命を祀ったことか始まりで、現在のような社殿を創建したのは明治時代に入ってからだそうだ。猿田彦大神とは、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神で、高千穂に瓊瓊杵尊を御案内した後、天宇受賣命と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田五十…
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熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)

 熊野那智大社は、神日本磐余彦命の東征が起源で、紀元前662年に神日本磐余彦命の一行が丹敷浦(現在の那智の浜)に上陸し、一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあて、その瀧を大己貴命の現れたる御神体として祀られた。その後、熊野の神々が光ヶ峯に降臨し、御滝本にお祀りしていたが、仁徳天皇が山の中腹にあらため…
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黒部ダム(富山県立山町)

 黒部ダムは、黒部川最上流に建設されたアーチ式ドーム越流型ダムで、186mの高さから毎秒10t以上の水量で放水される姿は豪快そのもので、放流されるダムの高さは日本一。建設工事は、そのスケールの大きさと困難さから「世紀の大事業」と呼ばれた。毎年6月26日から10月15日の間は、黒部ダムから観光放水を行っている。平成25年6月に、完成から5…
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安曇野市豊科郷土博物館(安曇野市)

 安曇野市豊科郷土博物館は、昭和54年に開館した郷土博物館で、安曇野の自然、歴史、民俗、芸術等の幅広い分野の資料が展示されている。1階展示室では、「安曇野をめぐる水と私たちのくらし」をテーマにした常設展示が行われており、農具や稲作の様子など、水との関わりあいついて、上流から下流に流れる水の流れに沿った展示で紹介されている。2階には企画展…
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安曇野市豊科近代美術館(安曇野市)

 「安曇野市豊科近代美術館」は、平成4年に豊科地区のメイン文化施設である豊科近代美術館として開館した美術館。その後、平成17年に安曇野市豊科近代美術館に名称変更された。近代彫刻の巨匠である高田博厚の彫刻作品や、森鴎外ゆかりの画家である宮芳平の絵画作品が、その他にも、安曇野出身の作家である小林邦のデッサン、スケッチブック等も収蔵されている…
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松本城(松本市)

 松本城は、1504年に島立右近貞永が深志城を築城したのが始まりと言われている。姫路城、彦根城、犬山城、松江城とともに国宝に指定され、五重六階の天守が現存している日本最古の城である。小笠原氏、武田氏、織田氏、木曽氏、小笠原氏と支配者が変わり、小笠原貞慶が深志城を奪還したときに、深志を松本に改めたそうだ。その後、豊臣秀吉の命を受けた石川数…
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苗木城遠山史料館(中津川市)

 苗木遠山史料館は、戦国時代から明治時代初期までの苗木城の歴史的な文化遺産を保存・公開する目的で、平成2年に開館した史料館。苗木遠山家の資料を中心に、貴重な資料を展示し調査・研究が行われている。館内には、常設展示室、課題展示室、特別展示室がある。 ・設展示室 戦国時代の苗木や遠山氏による苗木城の領主の生活などが紹介される他、幕末頃…
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苗木城跡(中津川市)

 苗木城跡は、美濃岩村城主遠山景前の弟である遠山直廉が1532年に築城したと伝えられている。戦国時代に入ると、木曽の重要な拠点であることから、武田氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏の支配下になるなど戦乱に巻き込まれてきた。苗木城の石垣は、全国でも珍しい自然の巨岩がそのまま利用され、年代によって積み方の異なる石垣も見どころ。また、城跡入口付近には…
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彌彦神社(新潟県弥彦村)

 彌彦神社は、弥彦山山麓に鎮座し弥彦山を神体山として祀る神社で、越後一宮として古くから信仰を集めている。御祭神は天香山命(高倉下命)。「おやひこさま」として人々に親しまれ、初詣には毎年20万人以上の参拝者が訪れる。創建から2400年以上の歴史を持つとされ、日本最古の万葉集にも詠われている。 拝観時間   通年 拝観料  …
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水原城館跡(阿賀野市)

 水原城館跡は、揚北衆のひとり水原親憲の居城である水原城にあった館跡。水原氏は上杉謙信に従い戦っていたが、1583年に水原満家が「新発田重家の乱」で討死し、水原氏は一時断絶したが、1586年に上杉景勝の命で大関親憲が水原氏を継いで城主となったが、上杉氏の会津転封に従ったため廃城となった。その後、1746年に幕府直轄領として水原城館跡に代…
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足立美術館(安来市)

 「足立美術館」は、昭和45年に足立全康が郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで美術館を創設したのが始まり。横山大観をはじめ、竹内栖鳳、川合玉堂、富岡鉄斎などの日本画の名作や、北大路魯山人の陶芸作品、林義雄、武井武雄らの童画など約1500点を所蔵している。特に、当館創設以来の基本方針である日本庭園と日本画の調和を「名…
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鳥取砂丘(鳥取市)

 鳥取砂丘は、日本海海岸に広がる広大な砂丘で、南北2.4km、東西16kmに広がり、観光可能な砂丘としては日本最大で、一般に立ち入れない場所も含めると青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ大きさ。中国山地の花崗岩質の岩石が風化し日本海へ流されたあと、潮流や内陸へ吹き込む風によって形成されているそうだ。また、最大高低差が90mもあり、日本海を見るために…
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鳥取県立博物館(鳥取市)

 鳥取県立博物館は、県民の教育及び文化の発展のため、昭和47年に鳥取城跡内に設立された博物館。地学生物、歴史民俗、美術、の常設展示では、3000点余の資料により郷土の自然と歴史や美術をわかりやすく紹介されている。また、特定のテーマに基づいた企画展や、移動博物館、講演会、講座、見学会などの教育普及活動も行われている。 ・自然展示室 鳥…
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小泉八雲記念館(松江市)

 小泉八雲記念館は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)にゆかりある人や愛弟子たちの募金活動によって集められた寄付金で、昭和8に建設、開館されて記念館。現在の建物は昭和59年に改築された建物で、最初はドイツのゲーテ記念館を模した洋風建築だったそうだ。著作の初版本や直筆原稿、書簡、八雲が愛用していた遺品など1000点の収蔵品があり、そのうちの…
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松江城(松江市)

 松江城は、堀尾吉晴により宍道湖のほとりの亀田山(標高28m)亀田山に5年の歳月をかけ1611年に完成したお城。全国に現存する12天守の一つで、屋根が羽を広げたように見えることから別名「千鳥城」とも呼ばれている。その後、京極氏、松平氏と続き、明治維新まで続いたそうだ。特に、松平氏7代藩主である松平治郷は、茶の道にも通じ、茶道石州流不昧派…
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鳥取城跡(鳥取市)

 鳥取城は、標高263メートルの久松山山頂に築城されたお城。1587年に羽柴秀吉による兵糧攻め、いわゆる「鳥取の飢え殺し」の舞台となった城。この事態に吉川経家は降伏を決意し、将兵の助命を条件に自害して開城した。現在は、天守台のほか、石垣や堀が遺構として残り城門が復元されている。城跡付近は、久松公園として整備され、園内には仁風閣、鳥取県立…
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出雲大社(出雲市)

 出雲大社(いづもおおやしろ)は、大国主大神(現在のだいこく様)を主祭神とする神社で、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建が記されている。大国主大神が高天原の天照大神に国を譲り、その時に造営された壮大な宮殿が出雲大社の始まりといわれている。現在の本殿は1744年に造営されたもので、高さは約24mあるそうだが、太古の時代の出雲大…
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米子城跡(米子市)

 米子城は、1467年から1487年に山名宗之によって砦として飯山に築かれたのが始まりと伝えられている。その後、西伯耆の領主となった吉川広家が1591年に築城を開始したが、完成する前に関ヶ原合戦に敗れ岩国に国替えとなった。関ヶ原合戦後は中村一忠が封せられ、1602年に米子城は完成したといわれている。そして、加藤氏、池田氏、荒尾氏と引き継…
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富山城址公園(富山市)

 富山城は、越中守護代であった神保氏の支配下にあった豪族水野勝重が1543年頃に築城したお城と言われている。その後、佐々成政や前田利家の所領となったが、1640年に前田利次が富山に十万石を分封されてから約230年間、富山前田家13代の居城として栄えたそうだ。本丸跡は現在公園として整備され、石垣や濠などの遺構が残るほか、本丸跡にたつ天守は…
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前田利長公墓所(高岡市)

 前田利長公墓所は、高岡の町を開いた加賀前田家2代当主前田利長の墓所。加賀前田家3代当主前田利常が、兄の2代当主利長の冥福を祈り、遺徳を称えるため、その33回忌にあたる1646年に、利長の遺骸を火葬に付した跡に造営した御廟。墓域は、外堀、内堀の二重の堀で囲まれ、その中心に一辺15.5mの御廟がある。瑞龍寺から石灯籠の続く八丁道の先にあり…
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高岡大仏(高岡市)

 高岡大仏は、日本三大仏に数えられる高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像。およそ800年前に承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことが始まりと言われている。その後、何度も荒廃や焼失にあってきたが、その都度再建され、現在の大仏は、1907年から26年の歳月をかけて完成したものらしい。その出来栄えがいいことから、日本一の美…
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